HOME | 由緒とご祭神


由緒とご祭神


伊豆山神社の由緒

 延暦年間(西暦782〜806年)、坂上田村麻呂の「東夷征討」の折、伊豆山に立寄り四神相応奇特の霊場と夷賊平定を祈願。その後夷賊平定の報餐として社殿を造営し積羽八重言代主神を祀り不老山神社と称し大同二年(西暦807年)六月十五日鎮座祭が執行されました。

 神社創建の由緒には他に一説、霊亀二年(西暦716年)七月十七日泣澤女神を御祭神として創建され、延暦年間坂上田村麻呂が夷賊平定を祈願、その祈願成就の報餐と大同二年社殿、狛犬等を寄進したという説があります。

 
 いずれその創建後、高関郷の産土神として人々に崇敬され、殊に雄物川の舟運に携わる人々、並ぴに戸澤氏を始め武家にも崇敬されました。
 また不老山神社から現社名伊豆山神社に改称されたのは天正年間(西暦1573~1591年)のことです。


御祭神

 十三座の神様をお祀りしていますが、大正元年に四つの神社が合祀されたため多くなっています。
 主祭神は、積羽八重言代主神です。


積羽八重言代主神(ツミハヤエコトシロヌシ ノ カミ)

神言を宣べる託宣の神です。
国譲りを迫るタケミカヅチへの回答を、父のオオクニヌシから任されたことに由来します。


泣澤女神(ナキサワメ ノ カミ) 

イザナミが亡くなった際に、悲嘆にくれるイザナギが流した涙から成った神です。
万葉集に「哭沢(なきさわ)の神社」に祈願する歌があります。


高皇産霊神 (タカミムスヒ ノ カミ)

アメノミナカヌシに続いて神と成り、アマテラスとともに高天原の中心的な役割りを果たしました。
後世、ムスビ=縁結びの神としても崇敬されました。 


天照皇大神(アマテラス スメ オオミカミ) 

イザナギから高天原の統治を委ねられた神々のなかの最高神であり、太陽の神です。
伊勢の神宮 皇大神宮(内宮)の御祭神です。


豊受媛神(トヨウケヒメ ノ カミ) 

五穀をはじめ食物を司る神で、このことから広く衣食住の神様として崇敬されています。
伊勢の神宮 豊受大神宮(外宮)の御祭神です。 


伊邪那伎神 (イザナギ ノ カミ)
伊邪那美神 (イザナミ ノ カミ)  

イザは「誘う」(いざなう)の意で、キは男性、ミは女性を表し、神婚に因むと解されます。
伊邪那伎神、伊邪那美神はともに最初の人格神で、国土及び地上の森羅万象を象徴する神々を生む、国生みの物語があります。


天之水分神(アメノミクマリ ノ カミ)
国之水分神(クニノミクマリ ノ カミ)  

「くまり」は「配り」を意味し、水源地や分水点に祀られることが多い流水の分配を司る神です。
また、水を分ち与える神格として、雨乞いを請う神でもあります。   
 


大物主神(オオモノヌシ ノ カミ)   

オオクニヌシが国作りの際、大和の三諸山(三輪山)に祀った神で、三輪山を御神体とする奈良県 大神(おおみわ)神社の御祭神です。 


火産霊神(ホムスビ ノ カミ)

火は生活に必須なものであるとともに、火災を起こすものでもあるため、火の生成と火難除けが求められ信仰を集めてきた神です。
火の神様をお祀りする神社としては、静岡県の秋葉神社、京都の愛宕神社が知られます。 


菅原大神(スガハラ ノ オオカミ)

学問の神様として篤い信仰を受ける菅原道真公です。
菅原道真公は、幼少の頃より学業に励み、情緒豊かな和歌を詠み、格調高い漢詩を作るなど優れた才能の持ち主でした。


HOME / 祭事のご案内 / 境内社 / 川を渡る梵天 / 梵天奉納祭 平成30年 / 獅子神楽 / 厄祓い / 初 詣 / 神社を訪ねる / 本宮へ男坂を登る / 本宮へ女坂を登る / やさしい神道 / おとなの神社旅